― 風閃 ―
雑木林を抜けると、目の前に海が広がった。靴に砂が入らないように気をつけながら、海岸を目指す。今日の雲は輪郭がハッキリしていて、いつもよりも白さが目立ってみえる。
海岸には木で出来た電柱がずうっと向こうまで等間隔に並んでおり、電線がダランと緩くなったゴムのようにぶら下りながら、それに続いている。誰もいない、静かな海岸。
その電柱の前に立っていると、波が自分の足元までサァッと流れ、ちょっと倒れそうになるとすぐに後ろの電柱に摑まった。ついこの間お母さんに買ってもらったお気に入りのズボンを、遠目からは短パンにみえるくらいまで、更に裾を捲し上げる。
ふと、海の方に目線をやると、空の遥か向こうのほうからそれはだんだん見えてきた。
きた! やっときた!
はやる気持ちを抑える。風はほとんど感じられず、静かに鳴く海の音がよく聞こえる。
空の向こうからやってきたそれは、雲の間から所々その体を見せては隠れ、こちらに向かってくる。
「すげぇなぁ」
思わず感嘆の声が洩れる。大空の遥か上空に、大気の厚みで薄っすらと、でも確かな存在感をもって、それは現れてきた。空の三分の一程を埋め尽くす、大きな船。
その名を「オキナワ」という。
昔、日本の島から少し南に離れた所にオキナワという島があり、そこは政府や国の管轄から洩れ、独自の文化を築き上げてきたのだが(島があるとは皆分かっていたのだけれど、人が住んでいるなどとは誰も思わなかったらしい)、ある日、大きな津波が島をまるまる海へ引きずり込んでしまった。しかし、オキナワの人々は独自の科学で空へ逃げた、というのだ。
もちろん、全て憶測であるが、俗説ではこうなっている。本当の所、あの船の実態は誰もわかっていないらしい。最初に目撃されたのは数十年前。それ以降ずっと日本の上空を漂っている。船が空から降りた事は無いらしい。始めは散々騒がれたらしいのだが、今となってはすっかりただの観光名物となっている。
僕はあその船を一目みたいと憧れていた。今日船が僕の町上空を通るとお父さんから聞いたので、一番眺めが良いだろうと思ったこの海岸でみる事にしたのだ。
想像以上の迫力に心躍る。ゆっくりと音を立てずに、雲の流れよりも若干はやい動きで船は頭上を通る。
大きい。綺麗だな。
羽も無く、薄く青くみえるその船は、巨大な卵のようでもあった。
いつかあの船に乗れないものか。実物をみて更にその想いは増してくる。あそこからこちら側はどんな風に見えるのだろう。
そういった旨をお母さんに言うと、母さんは笑って
「あんたねぇ、あれは空から降りられないんだよ? 仮に行けたとして、ずぅっとお空にいたら、地上が恋しくなってしょうがなくなるもんだよ。そうなる前に最初っからここにいた方が賢いでしょうが」
と言われてしまった。そうか、そんなもんか。妙に納得のいく説明だと思った。
「それにお空からこっちをみたいんだったら、宇宙からみた地球の写真みた方がほら、得って感じがするだろ?理科の教科書に載ってないかい? 手軽に見れて一石二鳥じゃないか」
確かにその通りだ。宇宙からみた写真の方がイイ感じがする。流石だな、お母さん。
しかし、凄いスケールだったな、また来た時は友達とみんなでみに行こうと思った。
その夜、机の上に寝そべりながら、大好きなラジオを聴く。あの船の話題でなにか喋っている番組は出来るだけ聞き逃さないようにしたい。僕の家には、みんなの家みたいにテレビなんて置いていないから(なぜかお父さんが極度にテレビ等の情報機器を嫌がるのだ)、ラジオが情報の収入源だ。僕の家族は自分の部屋に一台必ず置いてある。家族の誰もが携帯電話なんて持ってないし、ましてやインターネットなんて繋げるハズも無い。携帯電話を持っている友達が多く、持たせてくれるように頼んでみたら、とよく言われるのだけど、その勇気が出せないままでいる。
スピーカーから流れるニュースに耳を傾けていると、「オキナワ」が上空を通った事について、ニュースキャスターの一言と、町の子ども達にインタビューしたものが放送された。その後、別のニュースが始まってしまい、チャンネルをクルクル回してみたが、もう僕の欲しがっている話題は無かった。
ちぇ、これだけかよ、もっとさ、「オキナワの神秘に迫る!」みたいなのとか、やってくれないかな。
そのような番組は数十年前にはやっていたらしいけど、今じゃどこのメディアも取り上げてくれない。せいぜい物好きな写真家があれを追っかけて、雲と一緒に綺麗に撮ったものが写真集で売られるくらいだ。
午後六時を過ぎたので、この時間に始まるラジオ番組、「ピエールYAZAWAのジュテーム☆ニッポン」を聴く事にした。随分昔から毎日欠かさず聞いている、もはや僕の生活の一部の番組だ。このDJ 、語り口が面白くて、一時間に一回はお腹痛くして笑っちゃう。
「やぁ、今日も元気かいぃ? ううん♪ 僕はねぇ、昨日潰れたカエルみちゃってねぇ!ハハン〜、今もあんまり良い気分じゃないんだよショボーン。だからさ、ラジオの前の皆がガッツリ耳を傾けてくれれば、それがエネルギーになるからさ☆しっかり今日も魂を込めて聴いてくれYO! やぁは♪」
このテンション、どうやったら維持できるのかなぁ、凄いなぁと感心すらしてしまう。電気を消して、ラジオごと布団に潜り込んで、真っ暗の中で目を瞑って傾聴する。こうすると、回り全体がラジオの世界になる感じがして心地よい。別の世界を飛んでいるような気分になる。簡単にSFを感じられちゃうのだ。
聴いているうちに、ついウトウトとしてしまい、気がつけば午後九時をまわったところだった。番組はもう終わっていて、女性アナウンサーがどこかの国の食料問題について深刻そうな声で話していた。
気だるい体を布団から起こし、お風呂に入る為に着替え用のパンツとシャツを、月明かりを頼りに用意する。
ふと、こんな考えが頭に浮かんだ。
もし、「オキナワ」がこのラジオを受信していて、下界の様子が流れてくるのをずぅっと昔から聴いている人がいたとしたら、その人はきっと僕みたいにココに憧れたりするのかな。
なんとなく、空の上にもう一人の自分がいるような気がしてきて、ちょっと嬉しくなった。ちょっとの間だけでも取り替えられたりしないかなぁ。
窓の外から虫と海の声が聞こえる。その日は空気の澄んだ秋晴れで、月が煌々と鎮座している。良く透き通る光が部屋の中をうっすらと青く照らしていた。
終
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