▽▲ 長 新太 ▼△        2006/06/12 担当:ふたむら


▽▲ 長新太とは ▼△

漫画、エッセイ、イラスト……とマルチにこなす絵本作家。デビュー当初は漫画をメインとして創作していたが、後年、絵本創作をメインとする。その他にイラストエッセイなどの分野でも活動し、他著者の作品や詩(岸田衿子、谷川俊太郎、長田弘、まど・みちお、工藤直子など)にも多くイラストをつけている。

ナンセンス、奇想天外、予測不可能、独特のユーモア、脈絡の無い展開、不条理、等の形容がなされることが多い。


▽▲ 略歴 ▼△

長 新太(ちょう しんた)。本名、鈴木  治(すずき しゅうじ)。

1927924日東京都に生まれる。

都立蒲田工業高校を卒業後、映画館の看板描きの仕事に就く。1948()年、当時新たに創刊した東京日日新聞の「初笑い漫画祭り」で、4コマ漫画「ロング狂」が1等になり、同紙に連載漫画「ポン君カン君」を掲載。そのまま東京日日新聞社に勤め始める。ペンネームの由来は、この「ロング狂」のロング、新人の新、太くたくましく生きなさいという意味の太、であるという(毎日新聞の編集者が勝手につけたらしい)。


新聞社では、大学にいるみたいに、いろんな勉強が一応できましたね。人との交流があって…【「別冊太陽 絵本の作家たちT」平凡社】。
 こんなある日、児童図書出版の人がやって来て『新聞ができるまで』という本をつくりたいと言った。坊主頭の学生服の青年で、名前は「寺村輝夫」。【「飛ぶ教室」34号 楡出版】


その後1955年に同社を退職し、創作活動に専念。

1958年に、最初の絵本作品「がんばれさるのさらんくん」(文:中川正文)を出版。1994年には66歳で紫綬褒章(しじゅほうしょう)受章している。

2005625日中咽頭ガンのため東京都内の病院で死去。享年77歳。





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▽▲ 受賞暦 ▼△

1959年『おしゃべりなたまごやき』(文・寺村輝夫)文藝春秋漫画賞

1974年国際アンデルセン賞国内賞

1977年『はるですよふくろうおばさん』講談社出版文化賞

1980年『キャベツくん』絵本にっぽん賞大賞

1984年『ぞうのたまごのたまごやき』小学館絵画賞

1990年『トリとボク』『ヘンテコどうぶつ日記』路傍の石幼少年文学賞

1999年『ゴムあたまポンたろう』日本絵本賞 

・・・など多数。

▽▲ 視点 ▼△

 空想 △ アニミズム ▽

ぼくは、小学校3年生ごろから、漫画家になりたかったんです。ぼくは万物すべて生命あるんじゃないかという認識を持っているんです。それも、かなり強く。だから、そういう発想のものがぼくの作品の中にも多いし、生き方ともいえると思う。その辺を歩いていても、ブロック塀も生きてるんじゃないかなという気持ちがある。ブロック塀の間から雑草なんかが生えたりしてると「すごいなぁ」と立ち止まって見ていたりする。歩いていて、ふと見ると、小さい虫が這っている。踏もうとした足を、あわてて持ち上げて、よろけそうになったり。自分でも異常じゃないかと思うくらいです。/雑草や虫だけじゃなく、本や新聞にしても、コップにしても生きてるんじゃないかと思うんです。【「週刊現代」1983


 ナンセンス △

 漫画自体不条理だし、芝居だって舞台だって不条理なものがあるのに、絵本を子供に与える場はなぜ“ためになるもの”が頭に出てくるんだろう(略)だけど可愛くしなくちゃいけないとか美談じゃなきゃいけないとかに縛られちゃうと、子どものほんのレベルは無限に落ちて行っちゃうわけですよ。【「仕事場対談」 河出書房】







 参考・引用 ▼

「長新太の世界」http://www.geocities.jp/doro2067/cyo-front.html

「ウィキペディア」http://ja.wikipedia.org/wiki/

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